アイドルに永遠を求める理由と2018年
2018年もあと1か月で終わりですね。いろいろなことがありましたね。
これだけいろいろな事件があれば所謂何かしらのヲタクをしている方々は何かしらの災難に巻き込まれてるかと思います。本当にお疲れ様でした。
私の話ではありますが、この一年でアイドルの‘‘永遠’’についてとても深く考えた気がします。
私はアイドルのヲタクでジャニーズやらその他男アイドルやらハロプロやら、次の現場を常に心待ちにして、それを希望に10年超生きてきた気がします。
何の楽しみもなく冴えない人生の中で楽しみをくれるのはこういった人たちのおかげです。
ずーっとそんな日が続くと思ってた。
別に私は推しが退所したとかってことはないんですけど。
自分の性質上いかに箱推しでこの○人じゃなきゃ!!という気持ちを強く持っているんだなということを痛感しました。
グループ名が書いてあるということ=人数が変わらないという当たり前の保証が今年で崩れた気がします。
そしていつだれがいなくなるか分からない。
それは推しかもしれないし、シンメかもしれないし、相性の悪い誰かかもしれない。
人が一人いなくなることでバランスって想像以上に大きく崩れる。
そして推しとその人の関係性ももう可視できなくなることもあるんです
ちょうど推しているグループの子が脱退してあと1か月で1年になります。だからこそこう思うのかな。
大きな舞台、一区切りが終わったら誰かいなくなっていしまうんじゃないか、年明けの現場が決まっていも全員がそろった姿なのか。
どうしてもこの不安がずっと付きまといます。ある種のトラウマ。
永遠がほしいと欲張りになるとはこのことなんだな
どんなに時が過ぎていっても変わらないものはここにってないんだな
永遠ってきれい事だなって思います。
年もとるし価値観も変わる。逆に変わらないってどう考えても無理です(笑)
変わっていくところも愛せたらいいんだけどそれがしんどく感じることもある。
でも綺麗事を信じたくなるくらい私たちは疲れていて、だからこそ夢を見ていたいんだなって思います。
「推せるときに推せ」ってもう耳にたこができるくらい聞くけどその通りですよね。
まとまりのない駄文になっているけどふと思うことだったので。